ひめゆりの塔に行った

今年の終戦記念日に、ひめゆりの塔に行った。たまたま沖縄にいて、たまたま近所を通ったので立ち寄ったら、そういえば今日、終戦記念日だわね、ってな感じで。

二十歳のときにも来たことがあったけど、それからひとまわり年を取っていた。当時はその当時付き合っていた彼氏と来たのだけれど、なんだか盛り下がった記憶がうっすら残っていただけだった。そりゃあこんなところに来て盛り上がるわけがない。

 

今回の展示では、特別展として当時ひめゆり学徒を教えていた先生達に関する特集もされていた。先生達は、沖縄出身で、東京帝大、早稲田、日本女子、筑波大なんかを出ていて、それで故郷に戻ってきた人がほとんどだった。(沖縄出身でありながらも日本の中枢のエリート教育を受けていて、彼らの本心はどういう感じなんでしょうね、土着の人から見ると複雑な立場よね)

先生達は、いろんな意見を持った人がいたみたいだったけど、まぁ最終的には「生き残れ。でも、絶対捕虜にはなるな。」という矛盾のある命題を矛盾していると思いながらも生徒に最後まで説いていたらしい。でも、中には、「何が何でも生き延びろよ」という人もいたりして、先生達の一貫性の欠いた発言に戸惑ったとコメントしている生徒もいた。

 

先生たちも、どう指導していいか、全然分からなかったんだろうな、と思った。当時としてはそれなりの教養を持った人達だけど、それでも全然どうしていいか分かんなかったんだろうな。自分が大人になってみると、どうしても生徒より、先生のほうの行動に意識が行ってしまう。パネルを見ては、「先生だめじゃん、しっかりしてよ」「生きてこそだろうがぁ…(怒)」などと思ってしまうんだけれど、自分が実際その場にいたら、後世からみて適切な行動をできた自信なんて微塵もない。

もしこれが今の時代で、ツイッターとかみんなやってて、政府が捕虜になるなとかプロパガンダしてたって、「素直にアメリカの捕虜になれば助けてくれるよー」みたいなライフハック流れてたら、どんなに結果は違ったろう、と思った。(それが所謂、移民危機で実際に起きたことなんだろう。)

いくら知識層でも、管理側の目的に沿って作られた人材だったらあんま意味ないのかもね、窮地のときは。などとぼんやり思って、もし第三次世界大戦が起こったらツイッターに頼ろう、などとあほなことをぼんやり考えた終戦記念日だった。人は少しは大人になるようだ。